くじの祖先は「当たり券」ではなかった
くじという言葉は、一般に福引や宝くじを連想させます。ところが、記録に残る古いくじの用途のひとつは、景品ではなく政治でした。古代アテネでは紀元前5世紀ごろ、毎年6,000人規模の陪審員を、市民の中から抽選で選ぶ仕組みが制度化されていました。
当時の「市民」は成人男性に限られ、女性や奴隷、外国出身者は政治参加から除外されていました。現代の感覚で平等な社会だったわけではありません。それでも、参加資格を持つ人々の間で、家柄や人気ではなく偶然に役割を配る発想は、現在の抽選制度にも通じます。
石でできた抽選機、クレロテリオン
抽選に使われたのが「クレロテリオン」と呼ばれる石板です。表面には細い溝が何列も刻まれ、市民は名前などを記した小さな札を差し込みました。石板の脇には白と黒の球を入れる管があり、球を一つずつ出して、対応する列の人々を選ぶか外すか決めたと考えられています。
名簿を作る人と、最終的に選ばれる人を決める偶然を分離する。この仕掛けなら、有力者が前もって陪審員を買収したり、都合のよい人物だけを集めたりするのが難しくなります。クレロテリオンは単なる石の箱ではなく、不正をしにくくするための公共装置でした。
なぜ選挙ではなく、くじだったのか
選挙は民意を反映できますが、話が上手な人、裕福な人、すでに名前を知られている人ほど有利になります。くじなら、資格を持つ全員に同じ確率で役割が回ります。古代アテネでは、多くの公職について、選挙より抽選のほうが民主的だと考えられていました。
もちろん、専門知識が必要な役職まで何でもくじで決めたわけではありません。軍の指揮官などは選挙で選ばれました。「能力を選ぶ場面」と「権力を独占させない場面」を分けていた点に、くじの本当の使い方が見えます。
1569年、くじは国の資金集めにもなった
時代が下ると、くじは人を選ぶ道具から、お金を集める仕組みにもなります。イングランドでは1569年、最初の国営宝くじが実施されました。目的は港湾防衛の要所だった「シンク・ポーツ」の修繕費を集めることでした。
税金なら支払えば終わりですが、宝くじには当選の可能性があります。政府にとっては、強制ではない形で大きな資金を集められる。この仕組みはその後、道路、橋、学校などの公共事業を支える手段として各地へ広がりました。
石の球が、スマホの乱数になった
クレロテリオンの白黒の球、紙のくじ、回転する抽選器、そしてコンピューターの乱数。見た目は変わっても、中心にある考えは同じです。決める人の意思を結果から切り離し、参加者が「誰かのえこひいきではない」と納得できる状態をつくります。
ただし、機械に任せれば自動的に公平になるわけではありません。候補を抽選前に確定すること、引き直しのルールを先に決めること、全員が同じ結果を見られること。この三つが揃って初めて、偶然は気まずい決定を引き受ける公平な道具になります。